龗神社

名称

八戸藩総鎮守 法霊山 龗神社(おがみじんじゃ)

概要

創建不明。記録で確認できる範囲で約1000年前の平安時代には存在している旧陸奥國八戸藩総鎮守にして、青森県八戸市で市内最古と言われる神社である。正式名称は霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)といい、法霊神社、法霊山という通称でも呼ばれている。この神社がある地域はその昔八戸村柏崎と呼ばれており、各地方に産土信仰が生まれ始めた頃に柏崎の産土神としてこの地域の人々に祀られるようになる。その後大和朝廷の蝦夷征討により中央の文化が伝わってくるとともに、地域の産土信仰が神道の信仰と結びついていく流れとなる。これが法霊山龗神社の起源だと伝えられているが正確な年代は不明となっており類推で、今から約1200年前の出来事だと言われている。  古くは飛鳥時代より始まった稲作文化。溜池や堤などをつくり、農業用水の確保を行うようになる。寒冷な気候地帯だった為、稲作はなかなか発展せず、平安時代中期ごろにようやく八戸地方でも溜池や堤などをつくり、農業用水の確保を行うようになる。その堤を御守り頂く守護神をが必要という事で、地域の守護神である産土神のいる場所に堤の守護神を御祀りするのが妥当という事で、そのための社が築かれた。この頃すでに中央文化によってもたらされていた「神道」という概念に影響され、この社は「三崎社」という神社となって祀られていくようになる。  鎌倉時代の初期頃、八戸地方では日照り続きで農作物に深刻な被害が出ており、 この頃、熊野などで修業を積んだ「法霊」という高い徳を持った霊験あらたかな修験者が、様々な土地で教えを説きながら東北の地に現れる。この法霊は、鎌倉幕府誕生の頃の功により源頼朝より北東北の所領を与えられた工藤祐経の一族である工藤祐道の末裔で、その先祖代々にゆかりのある土地に戻って来たのである。八戸村に入った法霊は雨乞い祈祷に優れた山伏であったため、不作に疲弊する人々に乞われて雨乞いの祈祷をすることになり、寝食を忘れ必死に御祈祷を執り行うが、その甲斐むなしく雨を降らせることが出来きなかったという。   人々の落胆ぶりに心を痛めた法霊は、「命を捧げるので雨を降らせてほしい」と願い、三崎社内にあった池に身投げをしたと言われている。 投身した池から法霊が龍に化身してたちまち天に登り、空に暗雲が立ち込め、恵の雨を降らせたという伝説が今に伝わっている。  この御神徳に涙し、心より感謝した人々は、法霊の御霊を三崎社に合祀して「法霊社」という神社としてお祀りすることとなった。  明治になり神仏分離令が発令されると、神仏習合の影響から山伏系の流れを持つ神社は仏を廃して神社となる選択を迫られることとなる。 それに伴い法霊社も高龗神を主祭神として法霊山龗神社と改称し、廃仏毀釈の難を逃れて現在に至る。 山間部でもない平坦な都市部に位置しながら法霊山となっているのは山伏系の名残である。  現在でも雨の神・豊作の神、そして地域の産土神・守護神として篤く崇敬を集めており、農業の豊作を経済活動の豊作である商売繁盛と結びつけて崇敬されている。市中心部に鎮座という場所柄や古来より八戸の総鎮守であるという特性などから、地元の老舗企業や中央大手企業の支社支店などは龗神社の崇敬企業となっている所が多く、地元経済界の一部ではそれを名誉と捉える風潮がある。 【御祭神】 高龗神(タカオカミノカミ) 法霊大明神(ホウリョウダイミョウジン)

お祭り

毎年8月1日から8月3日までの間、龗神社を起源とする大祭式例祭「八戸三社大祭」を開催。詳細は下記のリンクよりオフィシャルHPへ

http://www.ogami-jinja.jp/c/sansha/

オフィシャルHP

http://www.ogami-jinja.jp/

住所

〒031-0075
青森県八戸市内丸2-1-51

アクセス

【電車】

JR東北新幹線・青い森鉄道八戸駅 ⇒ JR八戸線本八戸駅下車

⇒ 南口より徒歩約5分

【バス】

八戸市営バス 本八戸駅バス停下車 徒歩約5分

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